静岡地方裁判所 昭和34年(行)10号 判決 1966年9月20日
原告 浅沼武臣 外七名
被告 静岡県教育委員会
主文
被告が原告名波に対し、昭和二四年一〇月八日になした免職処分は無効であることを確認する。
原告浅沼、同小山、同田中、同松永、同二橋(旧姓鹿毛)、同鵜野の本件訴をいずれも却下する。
原告村野の請求を棄却する。
訴訟費用中、原告名波と被告の間で生じた分は被告の、その余の原告らと被告との間に生じた分は同原告らの各負担とする。
事実
第一当事者の申立
請求の趣旨
一、被告が原告らに対し昭和二四年一〇月八日なした免職処分は無効であることを確認する。
二、訴訟費用は被告の負担とする。
被告の本案前の申立
一、原告らの請求を却下する。
二、訴訟費用は原告らの負担とする。
被告の本案に対する申立
一、原告らの請求を棄却する。
二、訴訟費用は原告らの負担とする。
第二、請求原因
一、原告らはいずれも別表第一記載の各学校の教諭又は助教諭の職にあつたものであり、静岡県教職員組合(以下単に県教組という)の組合員であつた。
二、被告は昭和二四年一〇月八日浅沼、村野、二橋、鵜野の各原告を依願免職し、他の原告らを一方的に免職した。
しかし右の各処分には次項以下に述べるように重大且つ明白な瑕疵がありいずれも無効である。
三、原告名波、同小山、同田中について、
(一) 右原告らの免職処分に際して適用された官吏分限令は免職処分当時既に
(1) ポツダム宣言の受諾と降伏文書の署名によつて失効し、
(2) 仮りにそうでないとしても、昭和二〇年一〇月一四日付連合国最高司令官命令「政治、民権、及び信教の自由に対する制限除去に関する件」によつて撤廃され、そうでなくても、昭和二〇年法律第五一号「労働組合法」によつて、これと矛盾する限度で失効し、
(3) 「国家公務員法の一部を改正する法律附則一二条(昭和二二年法律第二二二号)は官吏懲戒委員会を廃止すると定めたが官吏分限令は官吏の分限に関する事務を右委員会に属せしめているから、右委員会の廃止によつて官吏の分限に関する事務の遂行は不能になり、官吏分限令は失効し
ているので失効した右法令に基づく免職処分は無効である。
(二) 右免職処分は
(1) 文部大臣と全教協との間に昭和二二年三月八日なされた又全教連との間に昭和二二年三月一一日なされた協約及び静岡県知事と県教組との間で昭和二二年八月七日締結された労働協約に基づく各協約所定の教職員の任免に関する人事委員会の協議を経ていず
(2) 又「都道府県職員委員会に関する政令」二条(昭和二四年政令七号)による職員委員会の議を経、又は職員委員会がその事務を行つた事実はなく、
(3) 教育委員会法(昭和二三年法第一七〇号)所定の本件免職処分を付議すべきことの告示も公開の教育委員会における議決もなくなされたものであり、
(4) しかも被告は旧教育公務員特例法第一五条第三項によつて原告らの不利益処分の審査請求につき審判すべき権限を有しながら、免職処分の意思表示に際し、同時に右処分は確定的で、苦情の申立は認めない旨通知したものであり、
以上の手続上の瑕疵はいずれも右免職処分を無効にするものである。
(三) 右免職処分は、正当な理由のない処分で無効である。即ち右免職処分の原因となつた静岡県教職員定数条例(昭和二四年同県条例第四五号)は、
(1) 特定人を解雇するため制定された不法且つ不合理なものである。
(2) 国が一方的に教員の定員を定め、それに従つて地方が定数条例を改正し、これを理由として教育上の必要を著しく無視して教職員を免職するもので、地方自治の本旨並びに教育の基本にもとり、法制度のたてまえから許されないところのもので不法且つ不合理なものである。
(3) その制定の縁由となつた定員定額制(昭和二四年五月七日政令九〇号義務教育国庫負担法施行令により、教職員の定員及び給与単価がそれぞれ法定され、この定員に単価を乗じた給与総額の二分の一づつを、国と都道府県とが負担することとなつた制度を指す)は、アメリカの占領軍としての権限を超えた、我国を極東軍事基地化し、且つ独占資本主義を復活強化しようとする不法な政策企図に出でた所謂ドツジプランなる占領政策に基くもので、従つてかかる企図より発した定員定額制、ひいてはそれに基く右定数条例は不法且つ合理性のないものである。
(四) 右原告らに対する免職処分は原告らの思想信条を理由とする(当時原告名波、同小山、同田中は共産党員であつた。)ものであり、憲法第一四条労働基準法第三条に違反し無効である。
(五) 右免職処分は原告らの組合活動を嫌悪し、これを差別待遇する意図で行われたものであり、不当労働行為で無効である。
(六) 右免職処分は人員整理の理由必要がないのに恣意的無目的になされたものであり、すなわち、(一)過員が多数あつたのに何故原告らを含む六七名のみを整理したのか、(二)休職の方法によらず何故免職処分にしたのか、(三)自発的退職者を募集する努力も尽していない、(四)合理的整理基準が立てられていないなど全く合理性を欠き解雇権の乱用によるもので無効である。
四、原告松永について
免職処分無効の理由として第三項(二)乃至(六)記載の事実を援用する。なお原告松永は当時共産党員であつた。
五、原告浅沼、同村野、同二橋、同鵜野について
(一) 右の原告らは昭和二四年一〇月六日から同月八日にかけて教育事務所主事或いは学校長に呼び出され、静岡県定数条例により免職せねばならず、これについては苦情の申立は一切許されぬとし、退職願を提出しなければ懲戒免職にし、身分上の特権はすべて剥奪される旨言渡され威迫された為退職願を出すに至つたもので右依願退職の意思表示は民法九三条但書により無効である。
(二) 退職願出の誘因となつた右(一)記載の被告側の勧告には前記三に記載した無効原因が存しているので、これに基づく退職申出は効力なく、依願退職も無効である。
(三) 依願退職が原告らの申出を要件とする行政行為としても、退職願は原告らの自発的意思に基づいて出されたものでなく、実質は一方的免職処分であり、前記三に述べた無効原因により効力を生じない。
なお原告二橋は共産党同調者であり、原告浅沼、同村野、同鵜野は共産党員或いはその同調者と考えられていた。
第三、本案前の申立の理由に対する原告らの主張
一、教育職員免許法(以下教職免許法と略す)第三条に被告主張の規定のあることは認める。原告らが免職処分当時退職金、解雇手当等を受領したことは認める。
二、名波、村野を除く原告ら六名(以下原告ら六名という)が教職免許法(以下単に免許法という)第三条所定の免許状を有していないとの点及び原告ら六名が教育職員の身分と職を有しないとの点は否認する。
即ち
(一) 別表第二記載の事実はいずれも認める。但し原告田中は教育職員免許法施行法(以下単に施行法という)第二条第一項の表第六号に該当する。
(二) 原告浅沼、同二橋、同鵜野が施行法による免許状の交付を受けなかつたことは認めるが、同原告らは同法一条により免許状を有するとみなされ、免許法第三条にいう各相当の免許状を有する者であるから、施行法第八条の適用はない。
(三) 原告小山、同松永がいずれも検定及び免許状の授与を受けていないことは認める。又原告田中も検定及び免許状の授与を受けていない。
しかしながら、教育職員検定は、受験者の人物、学力、実務及び身体についてなされる(免許法第六条第一項)が施行法第二条の趣旨は、一定の学歴と教職歴を有する者に免許状を授与しようというものであるから、同法第二条第一項の表上らん中一定の学歴のみを記載するものについては、その学歴があれば足り、他に実務の検定を要しないと解すべきである。また免許法施行の日に現に教員であるものについては人物、身体の検定は要しないと解すべきであり、学力の検定については、免許法第六条により施行法第二条第一項の表上らんの学校の成績証明書により行うが、右免許法施行の日に現に公立学校教員である者については成績証明書は任免権者であり授与権者である教育委員会においてすでにこれを所持しているから、改ためて学力の検定を要しないというべきである。とすれば、原告小山、同田中はいずれも右の要件を充たしているから、同人らを免許法施行の日以後ひきつづきその所属校教諭として勤務させたことにより、当該免許状の付与行為があつたと解すべきである。
(四) 原告松永については同人の該当する施行法第二条第一項の表第三四号上らんは、単に助教諭仮免許状を有するものとみなされる者であることのみを要件としているから、何ら検定を要しないと解すべく、免許法施行の日以後引きつづき同原告らをその所属校に勤務せしめた行為に臨時免許状の交付があつたと解すべきである。
三、仮りに原告ら六名が免許法所定の免許状を有しないとしても、それは地方公務員法第二八条第三号にいう「その職に必要な適格性を欠く」ものとして免職処分を受けることはあれ、何らの意思表示もなくして当然にその身分と職を失うことはありえない。したがつて、原告らと被告との間にはなお従前の法律関係が存続しているものである。
第四、本案前の申立の理由
一、後記第五、四の主張(権利失効の主張)を訴却下を求める理由として援用する。
二、更に、名波、村野を除く原告ら六名について訴の却下を求める理由は次のとおりである。
(一) 教育職員の資格要件として、教育職員は免許状を授与された者でなければならない(免許法第三条)。現に在職中の教育職員が免許状を有しないこととなつた場合には、当然その身分と職を失うものである。
(二) しかるに、名波、村野を除く原告ら六名は右免許法第三条所定の免許状を有しないものであり、したがつて本件免職処分の効力いかんにかかわらず本訴において主張する教育職員の身分と職を有しないから(原告らが教員の身分と職を有することを前提として)本訴において当該免職処分の無効の確認を求める訴の利益なく、不適法である。
(三) すなわち、原告ら六名(以下名波、村野を除いた原告らを総称する)の取得免許状の種類又は最終学歴若しくは昭和二四年八月三一日現在における学校教育法による免許状の種類は別表第二に示すとおりであるが、免許法及び施行法が昭和二四年九月一日から施行され、従前の免許法令を全て失効させ、同法所定の免許状を有する者に限り教育職員となることができることとし、同法施行前の学校教育法等による仮免許状を有するものとみなされる者については経過的措置として施行法第一条及び第二条に継承された。そして、新免許制度への切替えに伴なう暫定措置として学校教育法所定の仮免許状を有するとみなされる者について施行法第八条第一項により期限を限つて免許法第三条の特例を認めた。
(四) 原告浅沼、同二橋、同鵜野は別表第二中免許施行法に基づく資格らん記載の免許状を有するものとみなされ、施行法施行規則第一条第三項により当該免許状の交付を受けねばならない。しかるに、右原告ら三名はいずれも交付の手続をとらなかつたので、免許状は交付されなかつた。
よつて右三名は免許施行法第八条第一項同法施行規則第一条第一項により昭和二七年三月三一日の経過とともに、その身分と職を失つたものである。
(五) 原告小山、同田中、同松永は別表第二中免許施行法に基づく資格らん記載の免許状について同法第二条第一項により免許法第六条一項の教育職員検定によつて免許状の授与を受けることができるが、右の原告らはいずれも右の検定及び免許状の授与を受けてないから、施行法第八条により昭和二七年三月三一日の経過により、その身分と職を失つたものである。
第五、請求原因に対する答弁
一、原告らが原告ら主張の教職にあり、組合員であつたこと、被告が原告ら主張の日に原告浅沼、同村野、同二橋、同鵜野を依願免職処分にし、他の原告らを一方的に免職したことは認める。
二、当時、原告松永が共産党員であり、同二橋が共産党同調者であつたことはいずれも不知、同浅沼、同村野、同鵜野が被告に共産党同調者と考えられていたこと、原告ら六名が教育事務所主事或いは校長に威迫されて退職願を出すに至つたことはいずれも否認する。
三、被告は静岡県教職員定数条例(昭和二四年同県条例第四五号、同年一〇月一日施行)により、「定員の改正により過員を生じ」たので、教育公務員特例法施行令第九条(昭和二四年政令第六号)地方自治法附則第五条第一項に基き、原告名波、同小山、同田中を官吏分限令第三条第三号により又原告松永を国民学校令施行規則第百九条第百十条同令施行細則第七十一条の規定による取扱により免職処分にしたもので、任命権者たる被告において適切相当な裁量によつてなした適法な処分であり、適法且つ正当な手続によりなしたものである。
なお、静岡県知事と県教組との間で、昭和二二年八月七日付労働協約が締結され、教職員の任免について所定の人事委員会の審議を経なければならないとの規定の存した点は認めるが、昭和二三年七月三一日政令第二〇一号の施行により本件免職当時には、右労働協約は失効していたから、右協約は、右免職処分とは無関係である。
職員委員会の議を経ていないとの前記第二、三、(二)、(2)主張の事実は認めるが、教育公務員の任免、分限等に関して、この点の特別法たる教育公務員特例法(昭和二四年一月一二日法律第一号)により、教育公務員の免職は、都道府県職員委員会の権限に属さず教育委員会が行う旨が定められていたのであるから、右免職処分は職員委員会の議を経る必要はない。
教育委員会の議決を経ていないとの前記第二、三、(二)、(3)主張の事実も認めるが、前記教育委員会法の規定に則り制定された昭和二三年一一月二四日施行の静岡県教育委員会教育長専決規定(昭和二三年静岡県教育委員会訓令第四号)により、原告らの免職処分は静岡県教育委員会教育長限りで処理すべき事項に該るものであつたから、右免職処分は教育委員会の議決を経る必要はない。
又免職処分を受けた原告らは長期観察の結果を総合し、全体の奉仕者としての使命と職責遂行上不適格であり、整理対象に相当すると認めて免職したものであり、原告らの思想、信条や組合活動を理由になしたものではない。
四、さらに、原告らは免職処分当時、退職金、解雇手当等を受領し以来九年ないし一〇年の長期間にわたり、本訴請求権の行使をすることなく、それぞれ新たな職業に専従しながら、今になつてこれを行使するのは信義則に反し、その権利は失効するに至つているものであり、又原告らに今更無効の主張を許すことは、かえつて既に確定している事実状態を不当に破壊し、当事者相互の公正関係を乱す恐れがあるから、行政行為の公定力並びに確定力により、最早や許されないものと謂わねばならない。
第六、証拠<省略>
理由
一、先ず、被告の本案前の抗弁について検討する。
被告は、原告浅沼、同二橋、同鵜野、同小山、同田中、同松永はいずれも免許法第三条所定の免許状を有しないから、本件免職処分の無効確認を求める訴の利益を欠くと主張し、右原告らはこれを争うが、昭和二四年九月一日を期して免許法及び施行法が実施されるに伴い、従前の免許法令はすべて失効し、右免許法により授与される各相当の免許状を有する者でなければ、教育職員たり得ないこととなつた。
従つて、右免許状を有することは教育職員たる資格要件であり、これを具備するのでなければ、何人も教育職員たり得ないこと明らかであり、現に在職中の教育職員がかかる免許状を有しないことになつた場合には、それにより当然教育職員たる身分と職を喪失するものと解される。もつとも、前記改正については、暫定的経過措置として施行法第一条、第二条により学校教育法所定の仮免許状を有するとみなされる者に限り免許法第三条第一項の規定にかかわらず昭和二六年三月三一日まで相当教員であることができるとし(施行法第八条第一項)、この期限はその後昭和二七年三月三一日まで延長された(昭和二六年三月三一日法律第一一四号)が右期間内に免許法による免許状の交付を受けなかつた者は当然にその教員たる身分と職を失つたのである。
被告が、原告ら主張の日時に、原告浅沼、同二橋、同鵜野を依願免職し、同小山、同田中、同松永を一方的に免職したこと、当時同人らが別表第一記載の各学校の教諭又は助教諭であつたこと、右原告ら六名の最終学歴、学校教育法による資格、施行法に基く資格については、いずれも別表第二記載のとおりであることは当事者間に争いがなく、これによると、原告浅沼、同二橋、同鵜野は、それぞれ施行法第一条第一項の規定により同表記載の各免許状を有するものとみなされ、同法第一条第三項、同法施行規則(昭和二四年一一月一日支部省令第三九号)第一条第一項の定めるところに従い、昭和二七年三月三一日までに当該免許状の交付を受けるものとし、その手続は免許法第一五条の再交付手続による(施行法第一条第四項)ものとされたにも拘わらず、同人らはいずれも右期限までにその交付手続をとらず、新免許状の交付を受けなかつたことについては当事者間に争いがない。
また、原告小山、同田中、同松永はいずれも免許法第六条第一項の教育職員検定によつて、施行法第二条第一項に基ずく各免許状(別表(二))の授与を受けうるものとされたが、同原告らがいずれも右検定を受けず、免許状の授与を受けていないことについては当事者間に争いがない。
そうすると、現に免許状を有さない原告浅沼ら六名の前記原告は、前記免許法の趣旨に照し、施行法第八条に定める昭和二七年三月三一日の経過によつて、当然教育職員たりうる資格を喪失することになり、同人らが仮りに本件処分により退職しなかつたとしても、すでに右により当該教員たる身分と職は失われたものといわざるを得ない。そうすると、たとえ本件免職処分の無効確認の判決があつたとしても、同原告らはその主張のような教員であることはできず、その他本件に顕われたすべての証拠によつても現在なお右免職処分の無効確認を求める法律上の利益を認めねばならないような事情はこれを肯認することができない。
よつて、同原告らの本件訴は訴訟遂行の利益を欠くから不適法としてこれを却下すべきである。
二、被告は、原告村野、同名波について、本件訴の提起は著しく信義則に反し、権利失効の原則からも不適法であると抗争するけれども、これは本案につき審究を経なければ明らかにしえないものと思料するので、進んで、右原告両名の本案につき判断する。
(一) 被告が昭和二四年一〇月八日原告村野を依願免職し、原告名波を官吏分限令により免職したこと、当時同人らが別表第一記載の各学校の教諭であつて、県教組の組合員であつたこと、同人らが右免職当時、その退職金、解雇手当等を受領したことはいずれも当事者間に争いがない。
(二) いずれもその成立について争いのない甲第二号証、同上第一三号証の一、二、同乙第二〇号証の一ないし四、証人山川伊平の証言によつて成立を認めうる乙第二四号証の一、二に証人森源(第一回)、同山川伊平、同大石明の各証言を総合すると、被告が本件免職処分を行うに至つた経緯は、次のとおりであることが認められる。
国の昭和二四年度義務教育費国庫負担法施行令による定員定額制の改正に伴い、静岡県においても教職員の定員数をこの財政的枠内に調整するため、昭和二四年九月二八日同県教職員定数条例(昭和二四年同県条例第四五号、同年一〇月一日施行)が制定されたが、これによると県下教職員につき従来より約二〇〇名の過員を生じ、これを同年度末の昭和二五年三月末日までに整理減員しなければならなくなつた。
被告委員会としては、かかる情勢に即応するため、右条例の制定に先だち、昭和二四年八・九月頃から県内一〇ケ所の教育事務所長に対し、右整理の趣旨を説明し、「主要経歴、各種団体との関係、研究動向、個人的活動、教育活動等の諸項目に亘り、特に人格、勤務状況、教育指導に関する知識、技能につき重点的に調査し、その長期観察の結果、教職員としての適格性を欠くと認められる者を整理する」という基準を設け、管内各学校の教員につきこれが該当者を調査、報告するよう指示した。そこで、各教育事務所では、所長が部下である管理主事、指導主事などの協力を得て管内各学校の教員につき、個別的な授業参観ないしは所属学校長との面談などの方法により、具体的資料の蒐集に努め、かくして得られた資料と各学校長より提出された内申とを総合判断し、右該当者と思料される者若干名を選定してその氏名を各教育事務所長から被告委員会へ進達、報告した。
被告委員会では、これらの名簿中より、県下六七名に及ぶ教員を指名整理することに決定し、昭和二四年一〇月八日同委員会事務局員、教育事務所長、校長らを通じて各該当者に「長期観察の結果、教員として不適格である」との理由をもつて一斉に任意退職を勧告し、そのうち原告村野を含む四五名が辞表を提出して依願退職し、右勧告を拒否した原告名波ら二二名が同日付でいずれも一方的に免職された。
そして、原告名波の場合、法令上の根拠としては、前記定数条例により「定員に過員を生じ」たので、教育公務員特例法施行令第九条(昭和二四年政令第六号)、地方自治法附則第五条第一項に基く官吏分限令第三条第三号の適用によるものであつた。
以上の各事実が認定され、他に同認定に反する証拠はない。
(三) 原告らは、前記定数条例は、共産主義者ないしはその同調者を職場から追放する目的で制定、実施せられた憲法第一四条労働基準法第三条違反のものであると主張し、当時、官庁職員並びに民間重要産業において行われた一連の従業員整理がいわゆるレツド・パージとして新聞等に報道せられたことは公知の事実である。
しかしながら、成立に争いのない甲第二号証及び証人山川伊平、同本杉亮平の各証言を総合すると、本件定数条例は昭和二四年当時政府が戦後における我が国経済再建の一環として打出した行政整理の方針に則り、義務教育費国庫負担法施行令による定員定額制を改めたことに伴う教育行政運営上の措置であり、その狙いは飽くまで経費の削減にあり、国並びに地方公共団体の予算上の措置であつて、その適否ないしは有効性につき、裁判所が一般的に審査権限を有するか否かは疑問であるが、仮りに本件の如く具体的争訟をめぐる前提問題としてこれを論ずることが許されるとしても、それは著しく不当な場合に限定せられるものと解すべきところ、右認定に反して本件定数条例が原告ら主張の如くいわゆるレツド・パージの目的のみにより制定せられたものとなすべき確証はない。
もつとも、成立に争いのない甲第五号証の一、二、第一二号証の一、二並びに証人森源(第二回)の証言を総合すると、本件処分後早くも昭和二五年三月には前記定数条例の一部が改正され、小学校の教職員につき四五八名、中学校の教職員につき三〇九名が増員せられ、ついで同年七月にも同様にして前者につき一七六名、後者につき二九一名がそれぞれ増員されていること、また本件被処分者中、その半数以上が昭和二五年四月から昭和二九年二月頃までの間に復職していることが認められ、右定数条例自体の無計画性を窺わしめるものがあるが、これも戦後の変動期における地方財政並びに教育行政の特異現象として見る余地もあり、このことのみで、直ちに前記条例がレツド・パージを隠蔽するものであると非難するのは当らない。
(四) そこで、更に原告村野について検討する。
(1) 成立に争いのない乙第一三号証に証人森源(第一回)、同大石明、同戸塚一男の各証言並びに原告村野の本人尋問結果を総合すると、
原告村野は二松学舎専門学校、大東文化学院高等科を卒業後、昭和一〇年高等学校高等科教員(漢文)の免許をとり、教職に従事し、戦後、昭和二一年三月静岡県公立青年学校教諭に任ぜられ、志太郡焼津町立青年学校教諭となり、昭和二二年四月一日同町(焼津市)立焼津中学校勤務となつて、国語及び社会科を担当し、同人の妻けいは、当時県立藤枝西高等学校の教員として勤務し、その間、他方において、原告村野夫婦は組合運動にも非常に熱心であり、同原告は昭和二二年から本件処分当時まで約四年県教組志太支部の副支部長をつとめ、妻けいもまた同支部婦人部長の地位にあつたところ、昭和二四年一〇月八日原告村野は校長戸塚一男より同校長室において、被告の同原告に対する退職勧告を伝えられ、妻けいも同日右退職勧告を受けて任意退職したこと、
原告村野は、これにつき戸塚校長に対し、退職事由を明らかにするよう追求し、鋭く右勧告に反撥する態度を示したが、同校長は退職勧告事由には全く触れることなく、却つて、同人に対し、被告委員会では前記勧告に応じない者は、一方的に免職とする方針であり、それでは退職手当もでないし将来復職することも非常に困難となるから、むしろこの際、勧告に応じて任意退職をした方が極めて有利且つ賢明であるし、同校長も将来の復職については可及的努力を惜しまない所存であるなど種々説得した。
ここにおいて、同原告は、所詮自己の退職は回避し得ない情勢にあると、かくて収入が杜絶すれば、子供四名(長男一〇才)をはじめ、扶養中の老姉を含む家族全員が受けなければならない生活上の苦難を思い、この際、前記勧告に応じて任意退職するも止むなしと諦観し、むしろ、これによつて支給される退職手当金並びに将来の復職に希望をかけるに至り、遂に、被告宛てに同校長を通じて辞表を提出し、退職手当金を異議なく受領するなど任意退職としての手続を了したこと、その後、村野は昭和二五年七月静岡新聞社に入社したが、なお教職への復職希望を捨てず、友人、知己を通じて復職運動を試みたが、目的を遂げないまま、昭和三四年九月本訴を提起したこと、他方妻けいは前記退職後約二年を経て復職したこと、原告村野が本件退職時より約一〇年を経て本訴を提起したのは、本件の原因である定数条例に基く教職員の整理が、実は占領軍当局の指示によるものであると考え、占領中はこれに抵抗しても徒労であると観念していたこと、県教組自体が右整理によつて大量の幹部を一時に失い、極めて弱体化して統制力及び行動力を欠如して頼りなく思われたこと、並びに原告自身も収入が杜絶して生活に追われ、訴訟遂行の余力もなかつたことなどの諸事情に帰因することが各認められ、他に同認定を覆すに足る証拠はない。
以上の認定事実に照すと、原告村野は被告より本件退職勧告を受けた前記日時に、自己の意思にもとずくところのいわゆる任意退職をしたものと認めざるを得ない。
(2) しかるに、同原告は、右退職の意思表示は真意に反してなされ、被告もこれを熟知していたから、民法第九三条但書の規定により無効であると主張するけれども、同人が辞表を提出するに至つた経緯についてはすでに認定したとおりであつて、被告の退職勧告を受入れるべきか否かにつき慎重熟慮のうえ、彼此を決定した結果であるから、これを真意に反し無効であるとする右主張は採用できない。
(3) 次に、原告村野は、本件任意退職につき、同人がかねて被告より共産党員又はその同調者とみられていたため退職させられたものであつて、個人の思想、信条を理由とし、憲法第一四条、労働基準法第三条に違反する無効なものであると主張し、右原告本人尋問の結果によると同人は共産党員でも、その同調者のいずれでもないことが認められるけれども、前記認定のように、被告の原告村野に対する退職の勧奨に当つては何ら理由を示すことなく行われたものであり、結局これに応じた同原告の退職願に任意性の認められる以上、被告が同原告に対し退職を勧奨した原因が被告において内心同原告を共産党員又はその同調者と誤認した点にあつたとしても、何ら右任意退職の効力を左右するものとは解せられないから、同原告の右主張も採用の限りでない。
(4) 他方、本件退職勧告をせられた六七名中原告名波ら二二名は飽くまでこれに応ずることなく、そのために被告から一方的な免職処分に付されているのに、原告村野は前記の如く任意に辞表を提出し、異議なく退職金も受領し、しかもその頃森源外五名の者は静岡県地方労働委員会宛てに本件処分(但し同人らはいずれも分限免職)につき不当労働行為救済の申立をなしているのに、別段かかる申立もなさず、しかも、本件処分時より本訴提起まで約一〇年の長期間を経過しているし、その間県下教職員の配置、組織機構などの諸点においてかなりの変容を遂げていること弁論の全趣旨により明らかである。
(5) 叙上認定の諸事実に照すと、原告村野は任意退職したものであつて、たとえ本訴提起が前記の如く遅延したことにつき右認定のような事情があつたとしても、これを第三者的視野に立ち客観的に観察すれば、すでにこれが退職処分の効力を争う権利を放棄したものと認められても、けだし止むを得ないものがあり、今更これを争つて本訴を提起することは右の法的安定性を破壊することになり、信義則上も許され得ないものといわなければならない。
(6) なお、同原告は、本件退職処分につき、請求原因第二、三記載の如き手続上の瑕疵があつて無効であると主張するが、仮りに右瑕疵の存在が肯認せられても、前記判示理由により、同じくこれが無効を争い得ないこと明らかである。
よつて、本件任意退職の無効確認を求める同原告の本訴請求は理由がない。
(五) 次に、原告名波につき審案する。
同原告が、昭和二四年一〇月八日官吏分限令を適用して被告より免職処分に付された経緯については先に認定のとおりである(二の(二))。
(1) 原告名波は、右免職処分に適用せられた官吏分限令は当時既に失効していると主張するけれども、地方公務員法(昭和二五年法律第二六一号)制定以前である本件当時においては、教育公務員特例法(昭和二四年法律第一号)第一五条、同法施行令第九条、地方自治法附則第五条第一項の規定に基き、公立学校の教職員の分限については、官吏分限令の適用をみること明らかであるから、同原告の右主張は採用の限りではない。
(2) 原告名波は、本件免職処分は、共産党員である同人の思想、信条ないしはその組合活動を理由とするものであると主張するので、この点につき検討する。
いずれもその成立について争いのない甲第二号証、同上第四号証の一、二、乙第八号証、証人森源(第一回)の証言によつて成立を認めうる甲第六号証、同人(第二回)の証言によつて成立を認めうる甲第三号証、甲第一四号証の一ないし二八、甲第一七号証、原告本人尋問の結果(第一回)によつて成立を認めうる甲第八号証の一、二、前掲甲第五号証の一、二、乙第二四号証の一、二に証人佐藤金一郎(一部)、同森源(第一、二回)同粂田英一、同戸塚廉、同赤堀洪造の各証言並びに原告名波の本人尋問結果(第一、二回)を総合すると次の各事実が認められる。
原告名波は、昭和五年浜松師範学校本科を卒業して小学校本科正教員の免許状を受け、静岡県田方郡大池尋常高等小学校に勤務以来昭和二四年一〇月八日本件免職となるまで同県下の小・中学校において教諭として勤務したが、その間昭和二〇年一一月下旬共産党に入党すると共にいち早く教職員組合結成運動を展開し、昭和二一年一一月には同県小笠郡教職員組合を、昭和二二年六月には同県教組をそれぞれ組織、結成して自らは同組合小笠支部の書記長となり、共産党細胞活動並びに組合活動のいずれにも極めて熱心であり、その活動が目立つていたこと、学校教育についても「教育の民主化」「自主的教育」などを唱導して職員会議の席上或いは学校長と直接議論をたたかわすことも稀ではなかつたが、教育上の成果は相当あがつていたこと、本件処分の理由については、これにより退職した者らから執拗且つ強硬にその具体的事由を開示するよう追求したにも拘わらず、被告側は単に、長期観察の結果教職員として不適格であると抽象的な説明を繰返すのみで何ら具体的事由はこれを明らかにしなかつたが、原告名波については、学校運営の秩序や教育方針を無視した言動多く、教育効果が上らないということにあり、その具体的根拠は、同人が南山小学校在勤当時(昭和二〇年三月ないし昭和二二年八月)受持の四年生の児童に対し先生に挨拶するとき帽子をとらなくてよいと指導したとして生徒の躾教育の面で一部の父兄より強い批難の声があつた事実が指摘されるが、これは終戦直後、封建的意識の強い僻地において、名波の教育思想とその実践方法が地域の住民に十分理解されずむしろ、奇抜なものとして受取られ、父兄の誤解を招来したもので、前記事例も、名波としては生徒に自主的精神を教育する意図のもとに、「他人の命令に従つて先生へ敬礼するのは止めて、各人の真心から挨拶するよう心がけるべきだ」とする趣旨のものであつたこと、他に同原告につき教職員としての適格性を欠くものと認めうるような欠陥ないしは事跡のないこと。
他方、県教組執行部は、早くから組合員に対する人員整理が行われるであろうとの情報を察知して、これが昭和二四年当初頃から盛んに行われた官庁職員のいわゆるレツド・バージと軌を一にするものであるとの判断に立ち、同年一〇月三日の執行委員会において組合役員の改選をするなど種々これが対策を練り、原告名波自身もまた同組合志太支部書記長の役職に在ると共に共産党員でもあることから右パージは必至であろうと心中ひそかに覚悟を決めていたこと、当時原告名波と同時に依願退職または免職処分を受けた者は、静岡県下で六十数名におよぶが、そのうち数名の例外を除いては、全員共産党員またはその同調者もしくは活発に組合運動を行つていた者が含まれ、その退職の勧奨あるいは免職処分に当り、いずれもその具体的理由を明示せられなかつたこと、また前記二の(三)の末尾に認定したように、前記定数条例は、翌昭和二五年三月には一部改正により教職員定数の増員が行われるとともに、本件処分により退職した者のうち、かなり多数の者が昭和二五年四月から昭和二九年二月にかけて、被告委員会より復職を許されて教職に戻つたが、その際いずれも爾後共産党に関係せず、且つ組合活動に従事しないことを誓約させられていることが各認められ、証人佐藤金一郎の証言中右と牴触する部分はたやすく信を措きがたく他に右認定に反する証拠はない。
以上認定の事実に照すと、原告名波が本件免職処分の理由とされた教職員として不適格者であつたという具体的な事実はこれを認め得ないのであるから、同原告に対する免職処分は定数条例実施に伴なう過員の整理に便乗し、その実は右原告が共産主義者であること、活発な組合運動者であることを嫌悪し、これを排除する意図に出たものと認めざるを得ない。してみると、原告名波に対する被告の本件免職処分は同人の思想、信条並びに組合活動を理由とする差別的な不利益取扱いであつて、憲法第一四条、労働基準法第三条に違反するところの重大且つ明白な瑕疵ある行政処分であつて、その無効なること明らかである。
(3) しかるに、被告は、原告名波が本訴を提起したのは、本件処分後約一〇年を経ており、かかる訴は信義則ないしは権利失効の原則により許されないと主張し、本訴提起が昭和三四年九月一七日であつて、まさに右処分後約一〇年にもなること本件記録上明らかである。
しかしながら、原告名波の本人尋問結果によると、右遅延の理由は、同人自身、本件処分が占領軍当局の指示によるものと信じ、これに抵抗しても徒労に終るものと断念していたこと、収入が杜絶して生活に追われ、訴訟遂行の余力もなく、他方組合も本件整理によつて一時に幹部多数を失い、弱体化してその援護を期待できない状態にあつたなどの事情によるものであること、その間、昭和二七年一月新免許状(小学校普通免許、中学校国語、社会科免許)の交付も受け、その頃、復職願を小笠教育事務所に提出すると共に、知人を通じて復職運動をしたが未だに採用されないまま現在に及んでいることが各認められ、他に同認定に反する証拠もない。
しかして、右事実に、原告名波に対する本件免職処分は同人が共産党員であり、かつ熱心な組合活動家であることを理由とするいわゆるレツド・パージであること、同人が当初から一貫して本件退職勧告並びに免職処分に反対し続けてきたこと、退職手当金を受領したのは、生活費に充てるべく止むなく受領したものであること、その他諸般の事情を勘案すると、前記の如き期間の経過のみを事由として、本訴提起が信義則ないしは権利失効の原則により許されないと非難するのは当らない。
(4) 叙上の理由により、被告の原告名波に対する本件免職処分はその余の点につき判断するまでもなく、無効といわなければならない。
従つて、これが無効確認を求める同原告の本訴請求は理由がある。
三、以上の次第で、原告浅沼、同二橋、同鵜野、同小山、同田中、同松永の本件訴はいずれも不適法として却下し、原告村野の本訴請求は理由がなく失当として棄却すべく、原告名波の本訴請求は理由があるので正当としてこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 大島斐雄 高橋久雄 牧山市治)
(別表第一、二省略)